ナシタ少年の籠から逃げた鳥はだいたいこんなふうだった。大きさは鳩と鴉の中間くらい、嘴や冠羽を含めて全身が鈍い鉛色、翼は広く尾はまっすぐで長かった。鉛色のこの鳥は秋のある時期になると見違えるような黄金に変わるのがおかしなところで、少年はこれを愛していた。
というわけで、少年は鳥を探すことにした。なるべくなら早く見つけたいと思った、やがて山々の彩りは完全になり、鳥は黄金にかがやくだろうから。そしてその祝福された色彩はたった数日で褪せてしまうので。
ナシタは鳥を追い、果物売りと会った。真っ赤に熟れたスモモをかじりながら、果物売りの予想を聞く。彼は昔飼っていた鳥が逃げたとき結局どこにいたかを滔々と語り、毎日ブドウやモモやマンゴーを食べさしていた大事な家族は、農家の庭先で粟をつついていたのだ、と寂しげに締めくくった。
ナシタは鳥を追い、釣り人と会った。釣り人は、かわせみかい? と聞いたなり、たてつづけに鮎を釣った。灰色の鳥だと言うと、かわせみじゃないのか、と答えつつ、あまり協力する気もなさそうにかわせみの話をした、大声を出したらいなくなってしまってね、いなくなってしまってね……
ナシタは鳥を追い、山師に助けられた。このあたりは鬱蒼としているのにいきなり崖とかがあって危ないんだ、と笑う男は少年の知らない山のことやそこに住む鳥の話をし、さいごに君の鳥は本当に黄金になるのかと訊いた。少年は嘘を言い、残念そうな山師の疲れた横顔を眺めた。
ナシタは鳥を追い、国境で兵士に会った。撃ってしまったかもしれないね、と彼はすまなそうにしたが、灰色の鳥は見ていなかった。鳥でさえあちらへ渡るものが許せなくて、と茶を淹れる彼には、鉄条網を越えた先に恋人がいる。
ナシタは鳥を追い、湿地帯で幾万羽の群れを見た。ここで休み、また発っていく白や茶色のまだらの中に、嘴から尾羽の先まで灰色のものが居ないか探す。世界中の鳥の海からでさえ見つけ出せる、なんて自信が欠けていき、少年は涙ぐむ。無精髭の管理人が言う。灰色の鳥は来てないよ。
ナシタは鳥を追い、鳥の巣頭の獣医と話す。籠は窮屈だったかい? このあたしの頭より?とコロコロ笑う彼女は少年の背中を叩き、うちにきたら必ずあんたに知らせてあげる、と言い残して骨を継ぎに行く。人のすることはろくでもない、もちろんこれも……と口ずさみ、白衣の裾を翻す。
ナシタは鳥を追い、麦畑で少女と歩く。子供は落ち穂をもてあそび、灰色の鳥を知らないと首を振る。そんなに大事ならしっかり掛け金をかけておけばよかったのに、少年は返事もできずに隣に腰かけ、やはり落ち穂をもてあそぶ。
ナシタは鳥を追い、お屋敷で令嬢に挨拶した。一日じゅうだって眺めているあの窓を、小鳥以外は通らなかったという。十人だって眠れそうなベッドの上で憩う彼女は少年の話を聞き、そんなに大事ならどうして籠に入れておいたのかと問う。少年は窓の外を見る。
ナシタは鳥を追い、あばら家に踏みいった。住人はぼろをまとった骸骨じみた老人で、男だか女だか分からず、実のところさほど老いてもいないようだった。少年が籠という語を口にした途端、ギーと叫んで今さら侵入者を追い出しにかかり、終われば静かに家に戻った。
ナシタは鳥を追い、楽団の輪に混じる。リュート弾きは豊かな声で自由を歌い、ハープと太鼓がそれに続く。そしてフィドルは技巧をこらし、トランペットが賑やかす。タンバリン持った娘が踊り、皆が少年の手をとった。極彩色の衣装の渦だが灰も黄金も見いだせず、少年は空を盗み見る。
ナシタは鳥を追い、黄色い丘に登った。枯れかけの芝がそう見せている。誰も登ってこないそこで一人考えた。鳥はどうしているだろう。もう金色に変わっているか。お腹を空かしていないだろうか、傷つき怯えていないだろうか。心配事は降り積もり、さむい風が吹く。
ナシタは鳥を追い、墓守に慰められた。君の鳥はきっとまだどこかで生きているからね、心配ないよ、動物ちゅうもんは気まぐれに出ていって、気まぐれに帰るもんさね……と皿に入ったミルクを替える。なみなみと満たしていたものが流され、またなみなみと注がれた。
ナシタは鳥を追い、船乗りと遊んだ。十人の船乗りは家族であって、お手玉がとても上手かった。一人が少年を肩に乗せ、悠々はるけく海原を望み、なに鳥が逃げたところで、探す場所はこの海より広くはあるまいよ。少年は希望を抱き、船乗りの母娘に別れを告げる。
ナシタは鳥を追い、役者志望の青年と話した。皆が僕を夢追い人と笑いものにするが、僕は夢を追って駆ける勇気もない臆病者など! と胸を張る彼も、夕には少ししょぼくれて、でもうまくいかないのが怖いのさ、と微笑んだ。鳥追い人の君が鳥を掴めますよう。
ナシタは鳥を追い、剥製屋を訪ねた。極彩色の商品を並べつつ、君の鳥は黄金か、さぞ美しかろうねえ! としきりに感嘆する。少年が震えるのを見、いやいや私はどんな生き物も殺して剥製にしやしないよ、死んだのをそうするだけさ。だから君の鳥も、死んでたらうちにおいで。剥製にしたげるよ。
ナシタは鳥を追い、旅人の馬で草原を駆ける。風はうなりをあげて少年の髪を吹き乱し、しがみつく旅人の背中は愉快げに揺れた。怖いか? 怖い。でも君の鳥はこうやって飛ぶんだよ。その一言で少年は恐怖を忘れ、青い草原へ浮かぶ。
ナシタは鳥を追い、絵描きを見つけた。穴のあいた靴で調子をとりながら、縦横無尽に筆を走らす。少年が鳥の話をすると、彼は笑顔のままで聞く、灰色と金色、君はどっちが好きなんだい? 少年は答えに困るが、絵描きは気にせず赤を塗る。下手くそな麦畑に、歪んだ家が建つ。
ナシタは鳥を追い、路地にうずくまる男の背をさすった。飲みすぎたんでね、と繰り返す彼は虹色の鳥を見たという。鳥は頭上を飛び回り、この世のあらゆる腐敗を遠ざけてくれたのだ。灰色の鳥は見ていないが君のために鳥を用意してあげようか。少年は小さな袋を大きな手のひらに押し返す。
ナシタは鳥を追い、痩せた女と散歩した。中庭に咲くコスモスの花びらを撫でながら、一日じゅう窓の外を見ているけれど色のない鳥は通らなかった、と独り言の調子で答える。そのうち時間が来て、看守が彼女を迎えに来た。もしも私が鳥ならば、あなたの元へ飛んでいくのに。自由を口ずさむ人の背中に、絹織りの秋の陽が落ちかかる。
ナシタは鳥を追い、せかせかした男の財布を拾ってやった。男は少年に時間を割いてやり、どこでも鳥は見かけなかった、としきりにすまなそうにした。男は時計を見、手帳を見、話ながらも小走りに駅へ向かったが、鞄の中には新商品がぎゅうづめ、自分のものは何一つ持っちゃいないが、忙しいのが楽しいんだ、と車に飛び乗っていく。
ナシタは鳥を追い、肉屋にご馳走になった。分厚いベーコンを挟んだパンはとてもおいしく、少年は鳥が飢えていなければいいと思った。肉屋はたいこ腹を揺らして笑い、生き物は餌のありかをよく知っているもんさ、君だって腹が空いたからここに引き寄せられてきたんだろう、と肩を抱いて励ました。鳥が見つかったらくず肉をやるよ、と約束し、店主は昼休みを終える。
ナシタは鳥を追い、古びた小屋に立ち寄った。中は思いの外小綺麗で、誰ぞがまだ住んでいることはひと目で分かり、少年は慌てて外へ飛び出した。小屋の裏手の荒れ放題の畑には男がうずくまっていて、小さな墓が二つ、その前に建っている。少年は鳥のことを聞かずに去る。
ナシタは鳥を追い、町で警官に囲まれた。彼らは揃揃いの制服に身を包み、鳥のことは知らんと流して少年を質問攻めにした。こんな男を見なかったか、こっちの女や爺さんは。全員人殺しだよ、どいつもこいつも見つかりゃしない、お尋ね鳥は多少ましだろう、君の幸運を祈るよ。別れ際は同情をくれた彼らの、丸めた背中の並びは侘しい。
ナシタは鳥を追い、花嫁衣装の娘と風車の下でパンを分かち合った。ここで挽いた粉で作ったものよ、と笑う彼女は擦り切れた裾を静かに直した。私も探しているのよ、と湖の波間に消えた婚約者の名を呼ぶ。少年はあなたの鳥にともらったパンをかじり、手を振り返す。風車は回り、翻る白い布地へ婚礼の刺繍がきらめく様は、きっと夕暮れの湖面に似ている。
ナシタは鳥を追い、牛飼いに手を握られた。ああ、君の鳥を見なかったのは本当に残念だ、君の鳥が見つかればいいと思ってる、もし君の鳥、鉛色の君の鳥があの綿雲と綿雲を渡っていくのを見逃さない、見逃さないよ! 握られた手が上下に揺られ、それに合わせて牛飼いの持つ空っぽの頭絡も揺れた。
ナシタは鳥を追い、物乞いの少女に会った。少女はナシタと同い歳くらいに見え、もつれた髪の間から覗く瞳はきらきらしていて美しい。ナシタは鳥のことを尋ねた。少女はその鳥ならきっと私の子だ、と笑顔になった。言ってしまってから彼女は「私の」が相手に与える印象に思い当たり、顔を赤らめてこう訂正した。君の鳥だね、君の鳥だ……
ナシタ少年はついに鳥を見つけ出した。鳥はまだ灰色で、乞食の少女がねぐらにしている靴屋の裏手のあばら家の奥に、ひっそりと落ち着いていた。鳥はナシタ少年を見るや、灰色の頭を傾け、灰色の爪でとまり木(それは折れた洋服かけの棒だった)を引っかいた。そして灰色の嘴を薄びらきにし、うっとりするような甘い響きで、クー、と鳴いた。
僕の鳥だ。これは僕の鳥だ。少年がそう呟くのを聞いたなり、少女はウウと静かに呻いた。どうしたのと聞くまでもなく、少女の面にありありと、その理由が表れていた。別離の予感は薄汚れた頬を撫で、苦い涙を飲み込ませる。彼女は蝶番の鈍くなった顎をやっとのことで動かすと、それじゃあ家に帰るんだね、と発音した。涙は浮かべていなかった。ただ悲哀は骨の裏を通り、喉まで流れて声を湿した。鳥はまたクーと鳴き、彼女の感傷は差し込む西日に色づけられた。
少年はまずお礼を言った。鳥をこんなに大事にしてくれてありがとう。それからこう続けた、きみには家族がないの。少女は頷いた。そのやりかたはどことなく、当たり前のことを当たり前に認めるだけに過ぎないとでも言いたげで、少年の次の一言には好都合だった。じゃあ一緒にうちに帰ろう。少女はまた頷いた。今度はやや弾みがちで、白い歯が少しだけ覗いた。
外へ出ると、鳥は少年の肩の上で、あくびでもするようにゆっくり羽を伸ばした。するとどうだろう、いま黄昏が祝福を分け与え、みるみるうちに灰色は目のくらむような濃い黄金へと変わった。豊かな色彩は少年の歓びをいや増しにして、少女の目を丸くした。これが僕の鳥だ、とナシタは誇らしげに鳥を眺めた。僕の鳥は黄金色を隠し持っていて、それをこっそりお披露目するんだ、ちょうど秋のこの頃になると。
鳥はナシタの肩から菫色の空へと躍り上がり、目に入るところを飛んだ。残照を受けてひるがえる翼のありさまがあまりにも美しいので、少女は目じりに涙をためた。それから、二人は歩き始めた。道のりは長いが、鳥は昼夜の別なく美しい。
ナシタは鳥を追い、おしまいには鳥を見つけ、うちへ帰った。行きはひとりで、たくさんの人と出会ったが……
帰り道にはふたりだった。ふたりと一羽がうちへと帰った。