814年の冬

 ロザイア・ベルツンが仇敵の瞳のなかに自らの弱りきった姿を認めたのは814年の冬のことだった。日は没しきっておらず、どうやらカーテンの隙間から鈍い今日の残滓が忍び込んでくるらしかった、つめたいささやかな空気の流れとともに。ロザイアの均整のとれた顔立ちは不愉快な疲労の色をまといながらも何ら損なわれることはなかったが、どことなく無気力の陰りが芋虫のごとく目許を這いまわっていた。数日の悪夢が夜ごとの眠りを脅かしていた。「私はひどく疲れているようだ」思いがけず掠れた音になって喉から吐き出された言葉の意味を、目の前の男は理解しただろうか?彼の浅黒い肌はその昔ニグラールと呼ばれた土地の民のものだった。「それは何よりだ」ややあって、「君は政のほかに頭を悩ますべきものを抱えているようだね」と続く。皮肉な調子だが嫌味な響きがないのがこの男の奇妙なところで、それは敵の心にさえある種の心安さを与えるのに一役買っていた。
「喜んでいるがいいさ、小飼の猟犬が手負いの獣に傷ひとつ与えられないとは、かの第三席議員もさぞや情けない思いをしているだろう」
 一方で、悪意は剥き出しのまま相手に差し出すのがロザイア・ベルツンのやり方だった。もっとも彼だって相手を選ぶ、そしてロザイアの目の前の人間は、この程度で怒りだす男ではない。ベルツンの家の息子は心の内で唱える。彼が今更分かりやすい皮肉を嫌ったりするものか、我々に降り注ぐ悪意はいくらでもかたちを変えて、なんとか柔らかい部分に創を刻もうとするのだから。
 いかにも、なまくらの刃を受けた彼はただ、快活に笑ってみせた。

 ニグラール人は偉大な魔法使いをいくたりも歴史書の頁に登場させてきた。焚書の長いリストに載って久しいこれらの書物の上で、彼らは血湧き肉踊る冒険譚──あの地方の人間はみな勇猛で恐れ知らずの連中だった──に彩られ、ピリオドが打たれるごとに遠い過去から歓声が響いた。昔はロザイアも空想の中で遊んだものだった、お気に入りの英雄はジルトンという武勇すぐれる旅の魔法使いで、これは商人の息子だった。いかだに見立てたベッドの上で彼はロザイアの肩を抱き、衣装箪笥と壁掛け時計の間に昇る朝日を指差してこう語りかけた、「さあ行こう、あの水平線を裂いて太陽の出づる国へと。恐れるな、いかな荒ぶる海蛇とて、我らふたりの行く手を阻むこと能わぬ」、少年の頬は見えない暁の光に燃え上がり、カーテンをほんのわずかに揺らした希望が髪を乱して吹き抜けていった。遠い水平線の向こうから。
 ロザイア・ベルツンが仇敵の瞳のなかに自らの弱りきった姿を認めたのは814年の冬のことだった。ニグラール人の目鼻立ちのはっきりした浅黒い肌と漆黒のうねる髪、熱を宿した褐色の瞳の中に、大人になった少年が、葬った筈の英雄の姿をまだ憧れの眼差しで眺めていた。