いつかという日は

 「バランダール、私を殺す気か」
 ロザイアは自身の身体にのしかかる重みに呻いた。バランダール・デアン・トルゴーはニグラール系らしい恵まれた体躯の持ち主で、張りのある筋肉に覆われた頑丈な骨もまた、そこかしこで圧迫に痛みを添えていた。彼は相手の華奢な肩に顎を乗せるような形で、シーツに顔をうずめていた。黒髪がけだるげに動き、褐色の瞳がどこか弱々しい笑みとともに細められ、まだ半分は綿布に口づけたままの唇の間から、くぐもった声が漏れる。
「すまない。動けないんだ、なんとか押し転がしてくれ」
 潰れかけの男は言われた通りにした。何度か我慢を重ねると、十分に勢いのついた身体はだらりと向きを変え、重力と慣性の作用に従って仰向けで落ち着いた。やっと息をついたロザイアは、置いてけぼりをくった首が折れていないか心配になった。
「ダール」
 呼びかけた先からまた返事が聞こえた。首は平気だった。あまりすわりの良くないかたちで真横を向いたバランダールの、疲れきったような笑顔がそこにあった。
「君が無事で良かった」
 〝君〟は呆れ返った。「私の心配などできた身分か」赤銅色の胸板の上を、色素を欠いた指先がゆっくりと滑る。
「時々こうなる。だいたいは夜でね」彼は痛みだした首を傾け、頭を楽な位置まで移動させようと試みたが、徒労に終わりかけた。いたずらにこそばゆさを与えていた手が、見かねたようにそれを助けた。「ありがとう。そう、これが起こるのはだいたい寝入りばなでね、力が入らない以外に大した害もないから放っておけるんだが……今日は君が下に居た」二人の間に小さく笑いがはぜる。「今度から気を付けなければ」
「馬鹿だな、私が上になればいい」そう茶化してから、ロザイアは神妙な顔つきになった。「身内に君のような者が?」
「いる。曾祖父の弟がこれで死んだ」
 沈黙。
「段々長くなるらしい。最期は一日中起き上がることもできず、殺してくれとだけ言うようになったから叶えてやったそうだ。彼の姉の手で」由緒正しいニグラール系の家では、生き死にに関わる事柄は全て女によって為される。医者も女が多かった。「私もいずれそうなる」
 ロザイア・ベルツンは生涯で初めて、無力感に苛まれた。もし仮にあの異形にもう一度〝権限〟を与えて貰えたとしても、何を頼めばいいか分からない。この類いの魔法には、何もかもが必要だった。
「姉の代わりならしてやれる」
「それはいいな」
 快活に転がす声は耳に心地よかった。魔法使いはいずれ来る時を想起しかけ、それが像を結ぶまえに心の奥へ押し込めた。