小さい頃、死んだ姉を焼くのに、火葬場までついていったことがある。
 私とは随分歳の離れた姉で、体つきも、今流行りの骸骨みたいな女たちに比べれば、だいぶしっかりしたほうだったので、どこが頭でつまさぎだかが、特別注意を払わなくても、容易に見てとれるほどはっきり骨がのこった。むろん、かなりの高温で容赦なく焼いてしまったのだから、横たわっていたのはさながら、風化した骨格標本といった塩梅のものだった。だもので、案の定骨壷に入りきる量ではなく、一回入れてうまくいかなかったものをまた外に出し、それからもう一度、珍妙なパズルのように、なんとかうまいこと納めてみよう、ということになった。そこまでしても納まりきらぬと中途で悟った父親は、係の人に、新しい壷をおねがいします、と言った。彼が外に出たのを見はからい、父は小指大の骨のかけらをこっそりとつまみあげ、ささっと食べちゃいなさい、と小さな声で私を急かした。その骨はどこの部位かはわからなかったが、学校にあったあんまり質の良くないチョークに似て、スカスカと軽い手触りだった。あわてて口に放りこむと、やたらとボソボソして、もろく渇いた食感だったが、味のほうは、こないだ商店街でもらった、千歳飴そのものだった。舌の先で最後の小片が溶けきるか溶けきらないかの頃に、係の人が、一回り大きな壷を手に、いやあ最近の娘さんはどなたも細いもんで、と薄笑いを浮かべて現れた。
 あれから長いこと経ち、私はその時のことをすっかり忘れ去っていたが、つい今さっき食べたかるめ焼きが、あのときの甘い骨にたいへんよく似ていたので、口に入れた途端に、この悪食の思い出が鮮やかに蘇ってきたのだった。あのあとすぐ男の骨も口にする機会があったけれど、悪くなったお茶のごとく渋いことこの上なかったので、骨の甘いのは女だけのように思う。