飛ぶのは気持ちがいい。特にこんな秋の日には。広げた翼膜は腰のあたりから指の先まで張って、その下に捕まえた気流が、以前の半分ほどの重さになった体を軽々と押し上げる。ついこの間までは長い首と嘴をもて余す無様な鳥人間だったけたれど、胴体と両脚が縮んでからは、だいぶ翼竜に近くなった。おととい生殖器も外れたから、不格好なパンツを苦労してつける必要もない。快適だ。
はじめは憂鬱だった。僕がこの、いまだ正式名称のない所謂「劇的な進化」によって変容させられはじめたのは、大学二年生の春だった。その時付き合っていた彼女には診断がついたその日にあっけなく振られてしまった。親はただただ困惑するばかりで、僕は孤立無援のまま、やたらと長くなっていく薬指におびえ、だんだん伸びて硬くなっていく口元を恥ずかしく思い、どうして自分が、とか、誰か助けてくれ、とか堂々巡りの考えに囚われたまま、ベッドに転がってじっとしているよりほかなかった。少し経つと、まあこれも新しい自己だろう、と鳥頭の自分を受け入れる気になった。大学へ行くと馬鹿にはされたが、でも視線にはなんとなく憧れみたいなものが滲んでいた。日常生活はどんどんやりにくくなっていったものの、航空力学的に正しい姿へ近づくごとに、僕の自信は増していった。そしてついに屋上からえいと助走をつけて飛び立ったあの日、僕は面倒なしがらみを全部、地上へ置いてきてしまったのだった。

 遥か下に、通っていた高校が見える。あの頃はまだ自分が太古のスターになって大空を飛び回れるなんて夢にも思っちゃいなかった。校庭で動き回る豆粒のいくつかは、どうやら空を仰いで何か感心しているみたいだ。やあ、どうも、秋はやっぱり天高いね。機嫌よくなりながら、体をすこし傾ける。風は僕を目指した通りの方向へ、速やかに運んでくれる。ああ、なんて気持ちがいいんだろう! 空は思ったよりずっと広く、ずっと複雑で、ずっと面白い場所だった。担当の医者の話では、じきにヒトっぽい考え方ができなくなるそうだ。どうせもうヒトっぽく生きられないんだからむしろありがたくて喜んだら、母さんが泣いていた。それを悲しいと思わないのは、もうヒトっぽさがだいぶ欠けてしまっているからだろうか。
 僕は風向きの変化をとらえ、具合良さげな上昇気流をつかまえて大きく宙返りした。とても気持ちがいい。進化は確かに急激だったけれど、別にもうそれでいい。空で満足しているし、この先もずっと満足しつづけるだろう。