きっと君は来ない、という古い古い歌がある。確かに君は来ないのだった。という事を私は、夜も更けに更けて、辺り一体の構造物が灰色の雪の中に埋没してしまうまで思い出すことができなかった。実のところ、“君”と定義されうる人間も存在しないのである。私が目覚めたのはあの致命的な爆発の後の世界で、既存の生態系は、各々の設計図に対する放射線の激烈な作用のもとに敗れ去り、人類は、荒廃した都市へ自身の似姿を置き去りにして滅びてしまっていた。重苦しく濁りきった低い空の下、季節はうつろうことをやめ、冬はいつまでもここに居座っている。人を助くべく造られた我が同胞たちは、時折がらんどうの工場や崩れ去ったビルの跡地、住宅街だった雪原などに出かけて行っては、そこで一日中ぼんやりしている。彼らはそこでやるべき仕事がないことに別段頓着する様子もないし、当然、誰もいないのを寂しがることもない。寂しがる能力は、彼らには与えられなかったのだ。私だけが違う。私だけは、人間が好きでたまらない、人間が恋しくてたまらない、そのように造られた。だから私は決まった日に、ここ、つまり終わる前の世界で少女の像が指先の小鳥にはにかんでいた駅前のこの場所で、摩天楼の死骸から吐き出され、充電のために帰っていく、アンドロイドの人ごみの中から君を探すのだ。日付けが変わり、忘れていたすべてを思い出すまで。仮想の季節が頭のなかで巡って、次がくるまでにまた忘れるのだ。きっと君は来ない。