塹壕である。おや、審判がいるね、これは戦争だろう、なんで審判がいるのかな、と聞けば傍らの救護係が双眼鏡から顔を離して、嫌ですね、戦争なんかじゃありません、これは遊びですよ、遊びにはルールがありますから、審判もいるでしょう、と返す。フウン、でも人が死んでるじゃないか、人が死ぬ遊びなんかあるものかね、と問えば、心底呆れかえって、偉い先生と聞きましたが頭の回転はいまいちなんだなあ、無論人は死にますが、遊びじゃなかったら何になりますか、戦争でしょう、戦争なんかしたかありません、戦争になるとみんなルールなんてお構いなし、そうなったらこの世はめちゃくちゃです、とこう来る。ヘエ、そんなものかね。彼は私の漏らした感想を聞くと、遊びなら守りますからね。などと得意気ににっこりしている。地平線の際の際から飛んできた砲弾がぼこぼこに荒れた地面を抉れば、ピクニックでもしたら気持ちよかろうと思ゆる、お天気の空の青い中へ、土砂とともに数人の手足が、ポップコーンでも弾けるごとく小気味よく舞い上がり、彼らの魂が煙とともに、真昼の星へ変わってゆく。あちこちで繰り広げられる同様のシーンの合間を縫って、歩兵のシルエットが蟻の群れよろしく列をなして動きまわり、ほんの十メーター離れたところでいま一人、コトリと倒れこむ。演技ならとんだ大根だが、本人は至って真剣なものだ。審判が暇そうに旗を巻いたり、畳んだりしてあそんでいる。隣の彼が双眼鏡を放り出し、怪我人を迎えに駆けていく。私は手伝いもせず眺めている。そのまま、机の下へ落っことしたポーンを友人に拾わせた時のことを思い出している。