君が遠い海にいるのを知っている。あの真っ暗な冬の夜、窓べりに積もってはこぼれる雪の息づかいを聞きながら、一本だけのちびた蝋燭をはさんで、炎の淡い光に照らされた僕らの顔と手元が、色相を固定されてくちなし色をしていた。魚をとるのだと言っていたね。君の眼を潤す涙の揺らぎに感じ入って、僕はただ口をつぐんで縮こまっていた。魚のことを語る君の声音のひたむきさ、それが鼓膜から頭の中で渦を巻くうち、目のあたりにするようだった……銀色のなかにこの世のあらゆる色彩を宿して跳び跳ねる流線型のからだ、整然と列をなす鱗のきらめき。うねり、さかまき、凪いでは泡立ち砕け散る波の間に船を繰って、海から命を貰い受ける、網の内にさざめく一節の旋律を聞き、やがて海へ返す命のことを思う。僕はただ黙りこくっていた、君の紡ぎ出した海が壊れてしまわないように。
季節がめぐり、かたくなに凍りついていた木々の芽がふっくらと綻んで、やわらかな萌黄で挨拶を交わすようになった頃、君は船を出して、あの春の神聖な凪の中へ行ってしまったね。ほかの連中がねむっている未明の砂浜、僕ら迷わずにさよならを言った。長い冬ごもりの間に醸成された君の決意は、さよならの一語しか受け入れてくれないと知っていた。だから僕は別れを惜しんだりしなかった、無事を祈ることすらしなかった。朝を待つ海の面はごく穏やかにおし黙っていながら、組み合わされた無数の指先のように休みなくうごめいていた。君の船が広げた手のひらに乗るくらい遠ざかると、水平線から誰のものでもない黄金がとろけだし、ついにあの偉大なる四頭だての馬車が、おごそかに天へと躍りあがった。その時君の船は、君の背中は、海へ流れ出た熱い黄金に焼きつくされて輪郭だけを残していた、君はものともせずに沖へ向かってオールを漕いでいた、君は一度だって陸を振り返ったりしなかった………。