パンタ・ジタバは愛機に乗った。愛機というにはやや歴の浅い、つい二三ヵ月前にどこぞの中継地で拾ったおんぼろだった。その頃のジタバには新しいのを買うだけの持ち合わせがなかった上に、かかずらっていたのがなにしろ切羽詰まった用事だったから──彼は非合法の運び屋だった──選り好みなどしている余裕もなく、急ごしらえをどうにか整えて使い続けている、そんな代物だった。とはいえおおむね問題なく動いているので、当分のうちは買い換えの予定もない。しばしばスタビライザの調子が狂うことはあったが、それも少し調節してやればすぐ自分の仕事を思い出したので、まあよしとしている。がたついた発進からおとなしい慣性飛行までを見守って、ジタバは前の機体から移植した操縦席に背を沈めた。コックピットの内張りの画面に映る外の景色は宇宙旅行お決まりの星空で、旅路を憂う必要もない。気を緩めた彼はほとんど無意識に腕を持ち上げ、首の付け根、鎖骨の少し上あたりをそっと触った。不自然な隆起がそこにあり、圧をかければほのかな弾力が感じられる。襟のボタンが閉められないのは、この大きくなりすぎたできもののせいだ。ジタバは地球出身者にありがちな皮膚のトラブルを、やはり地球出身者にありがちな怠惰で放ったらかしにし続けていた。傷を受けたのはちょうどこのおんぼろ宇宙船を手に入れる少し前で、おそらくはその後のごたごたで不衛生にしていたために、傷口へ菌が入り込んだのだろう。傷自体は治っていたものの、腫瘤は今や握りこぶしの大きさにまで成長し、日を追うごとにますます膨らんでいく様子だった。
 くそったれ、と彼は呟き、単調な道のりを自動航行に任せると、本当は片付いているべき床に転がった食べ物の容器とか雑誌の類いとかをまたいで、メインルーム(そこしか広い部屋がないからまさしくメイン・ルーム)へと向かった。手垢が染みて塗装のくすんだ船内はエネルギー事情に配慮した最低限の照明しか点けられておらず、ちょっとした凹凸や荷物の間に墨が入っているおかげで、目に見える景色はますます黒ずんで見える。まったく穴蔵じみてるな、と船の主は苦笑いをし、同時に、ここは他に望みようもないほど、自分のような日陰者におあつらえむきの生活空間だとも思った。彼は操縦席にあったのと同類のごみを足でどかし、くつろぐのにちょうど良いスペースを作った。ブーツは軍の払い下げで、こういう用には申し分なく役に立つ。片付けの乱暴さそのままに作り付けの椅子の座面へ尻を落とすと、彼の頭にはまた巣穴のイメージ──機器の隙間や通気孔にせっせと溜め込まれた藁くず、残飯、ひとまとまりの糞、そういったものが浮かんできた。陳腐な連想だが、現実がこれよりましとは言えなかった。ごちゃついた船内、よれよれのジャケット、だらしなく開いた襟、おぞましい瘤、鏡を覗くまでもなく分かる寝不足のひどい顔、無精髭。これが今のジタバなのだった。なんたるありさまだよ、パンタ・ジタバ! 顔を手のひらでゆっくりと撫で、わずかに歯ぎしりする。幸いにして彼にはまだ仕事があった、けれど正直なところ、張り合いがないのだ……昔のようには。彼は天井をふり仰ぎ、ため息とともに瞼を閉じた。
 古き良き時代の相棒、ラデク・オンシェン=ズーには相棒と呼ぶにふさわしい付き合いの長さと、親しさと、頼りがいがあった。ジタバが片言の共通語しか喋れない依頼人からぺてんにかけられそうになった時、横から口出しをして報酬を正当な額まで引き上げてくれたのが彼だった。そうして無事骨折りに見合った額を手にした元地球人が分かりやすく示した感謝の意、つまり奢りの一杯が、彼らのその後を結びつけた。ラデクはただ毎日が面白くなりそうな仕事を探しているところで、ジタバは宿代と食事代、その他の雑費と引き換えに、ただ同然の通訳を手に入れることに成功した。新しいクルーのの肌の色……目の覚めるような明るい青は、まだ元気だった頃の故郷の空に似ていて愉快だった。ラデクは語学に堪能な上、頭の回転が速く、そのぶん口も達者な男で、何度助けられたか分からない。あいつが本当に助けていたのが俺じゃなくサツだったのが残念だ。ジタバの追憶から楽しげな晩酌の余韻が消えた。ある薬品が荷物になったとき、ラデクは初めてミスをした。荷運びの段取りのほうは完璧だったが、彼はうかつにも、ジタバの目につくところで本当の相棒に連絡を取ろうとしたのだった。ジタバの手には武器があり、彼の手にはなかった。事情を知りたかったジタバが悠長に質疑応答の時間を設けようとしたせいで、二人はしばし揉み合いになり、そして結局、銃声ひとつで彼らの契約は解消となった。
 肩の傷はそのときにできた。ジタバは白昼夢の爪が刻んだ痛みで現実に引き戻され、ほとんど癖のように肩の腫れを触った。もうそろ対処したほうがいい。彼は鈍い動作で立ち上がり、落ち着いた足取りでシャワールームまで行くと、ジャケットとシャツを脱いで上裸になった。温度調節はされているのに、なぜか寒気がするようだった。彼は鏡を見つめ、予想通りのひどい顔と、予想よりずっと目立つ瘤を眺めた。それからシャワールームのコンソールから汚水タンクを汚染物用へ切り替えると(通常のタンクに入った水は処理されて飲用に供される)、ナイフを手に取って、膨れたところを切り開いた。少しばかり顔をしかめはしたものの、痛みに対する反射以上の意味はなかった。創の開くのと同時に、閉じ込められていた膿がはじめはささやかに飛び出し、次いでとろりと流れ出た。嗅ぎ慣れぬ臭気が鼻をつき、ここでジタバの表情は初めて、不快感のためにはっきりと歪んだ。落ちた視線が洗面台の底に落ち着く。金属板の曲面にへばりついた不潔そのものの流体は、よくよく目をこらせばいくらかの色彩を伴っている。数限りない死がもたらしたライム・グリーン。この色づきかたには見覚えがある。脱け殻の色味だ。かつて相棒だった男の下に広がった血だまりは、肉体から根こそぎに彩度を奪い取っていた。彼の肉を去った青色の、なんと鮮やかで濃かったことか!
 ヴェンノーク人のラデクは青い血の持ち主だった。すべてが一発の銃弾で片付いてしまった後、見下ろした彼の顔はいっそ間抜けと揶揄しても差し支えない半開きの表情で固定され、肌の青もすっかり褪せてしまっていた。

 この世の何よりもつまらないペール・ブルー。誰もこの罪でジタバを追わない。