エンジンの爆音が朝焼けの淡い光に包まれたこの星の大気を殴りつけ、私は大きすぎる振動にびりびりと痛めつけられる鼓膜をかばいながら、洞窟の外にまろびでた。おい! 私は力いっぱい叫んだ。それは自慢できそうなほど真に迫った“血を吐くような叫び”だったが、ライムグリーンの光条が青空に走り、私は一人取り残された。長い昼寝がとんだことになった。生態調査に出たのは昨日の朝早く、早すぎたのと前日に興奮しすぎたのとで寝不足だった私は入り込んだこの洞窟の薄暗さと奥に流れるせせらぎの音にまどろんで、スーツも脱がずにすやすやと寝入ってしまったのだ。まる一日ちかく寝こけていた挙句、船の出発に間に合わなかった。私は呻き声を上げてあたりをうろつきまわり、豊かなバリエーションを揃えた森の草花を蹴散らし、踏みつけ、振り回した腕で花びらを派手に散らした。ばかでかいハート型の葉にしっぺ返しを食らい、私はふかふかの黒土の上へ尻もちをついた。そのまま膝を抱えてむせび泣く。どうせ誰も見ていない。絶望的な気分だ、置いて行かれたことそれ自体もショックだが、誰も私の不在に気づかなかったというのか、それが一番深く心に突き刺さり、涙という名の血を流させた。
 それにしても、どうして艦長はこんなにも早くこの星を離れることにしたのだろう。予定ではあと二週間のミッションだった。それを曲げてまで帰還を急ぐ理由でもあったのか?抱えた膝が小刻みに震えだした。もしこの推測が当たっているならば、私の未来は絶望的だ。目の前の何もかもが再びぼやけだした。どれほどの時間そうしてうずくまっていたことだろう。最終的に私はくよくよするのをやめにした。絶望しても仕方がないからだ。というより、目下重要な問題は自分を置いていった宇宙船にはなかったからだ。私はあたりを見回した。さっきは感情に任せてあちこち荒らし回ったが、何が住んでいるかも分からない未開の惑星でこんな迂闊な行動をしていたら、生命がいくつあっても足りない。これからはまず生き延びることを考えるべきだ。濃い緑と淡いピンクの茎や葉や幹が私を囲んでいるが、手のひらより大きい生き物の姿は、少なくとも視界にはない。ヘルメットに遮られているとはいえ些細な障害だから、この視界にないということは、凶暴なばかでかい肉食獣や毒でももっていそうな大サソリなどといった脅威はないと考えて良さそうだ。
 てらてら光る二対の翼をはためかせながら飛び立った毛玉は、嘴らしき構造物を大きく開き、熊よけのホイッスルを思わせる甲高い声で鳴いた。立ち上がると、今まで椅子にしていた朽ちかけの丸太が転がり、下から四つの節に分かれた甲虫がうようよと這い出してきた。この星に生きる動植物は僅かにその意匠を基準からずらしているとはいえ、概ね地球と変わりなさそうだった。いい事だ、私は思った。全部が全部珪素を軸にできているとか、硬い鉱石で構成されているとかでないのだから、いざとなればこの虫でもいい、何かしら獲って空腹を満たすことができそうだ。
 私はいいものを見つけた。はじめまるまる太った芋虫だと思っていたそれは、うっかり屋の同僚が置いていった着火装置だった。こいつがあればぞっとしない異星の虫を生で食べるなんて絶望的な経験をしなくて済む。衣食住は生活の基本だが、わけても食は文化の前に生命の基本なのだ。見上げれば厚いクチクラに覆われた木々の葉の合間から、青空が微妙な濃淡の紫を伴って広がっている。私は長いこと立ち尽くしていた。そして、おもむろにスーツのヘルメットを外し、脇に抱えた。風は清涼で、うっすらと甘い香りが乗っている。気持ちが良かった。ここは異世界かもしれないが、決して生命を拒むような星ではなかった。希望はまだある。私はいずれ昇り来る四つの月がどのように夜を彩るかが、楽しみになっていた。

 いつの間に眠ってしまっていたのだろう。
 目覚めた私の額に降り注ぐ月光は、天球に列をなす巡礼者の捧げ持つ四つの篝火からもたらされたものであり、私はこの清い光を浴びながら、さっき焼いたナナフシと蛇のあいのこのような生き物を、ジャーキーでもかじるように歯で挟んで引きちぎっていた。何もつけなくとも薄っすらと塩気のあるこの生き物は結構食いでもあったし、こういう遭難で得られる食料としては最上級のものだといえた。呑気な遭難者と一緒に焚き火を囲むのは羽もないのに飛び回る奇妙な小虫で、私はそのコミカルな自殺の現場を鑑賞し、人目も気にせず──気にするべきもっと大きく危険な野生動物の耳も気にせず──声をあげて笑った。
 すると突然、向かい側の茂みが揺れ動いた。うかつだった私は思い出したように怯え、火かき棒に使っていた長い枝をふりあげた。まんじりともせず身構えていると、この滑稽な姿をせせら笑いながら、ついに平和な晩餐の闖入者が月明かりの下に姿を現した。
「お前は何者だ」
 彼は──彼、と呼んでも差し支えなさそうな風体だった。二本足で立ち、人間とさほど変わらない造形の毛髪のない頭部には二つの目とひとつずつの鼻と口が非常識でない位置に備わっており、黒目と白目の境界は、色にしてみれば反対なのだが、はっきりはしていた。ただ、腕は二対あって、鉛色の肌の一部を鱗らしきものが覆っていた。状況が状況でなければひと目で笑いを誘うような蛍光色の毛皮を腰に巻き付け、肩からは木の皮をほぐした蓑のようなものを下げている。
「俺はあんたのお仲間さ。置いて行かれたんだろ?」彼は先端の丸い奇妙な歯を見せて笑った。「俺もさ。あんたより何年か先輩にあたる。つまり、あんたより事情を知ってる」
 言葉が通じることを訝しむ前に、彼が音声で喋っていないのに気づいた。これは一種のテレパシーか?私の頭の中では、彼の言わんとしていることが自動的に翻訳されて流れている。
「事情ってなんだ」
「ちょいとここに座らせてもらうぜ。立ち話は疲れるだけだ」
 彼は私の真向かいに腰を下ろし、一組の腕は膝の上、一組の腕は胸の前で組んで落ち着けた。揺らぐ炎に照らされた真っ白な瞳の中心で、瞳孔がわずかに形を変えた。猫のように……というより鱗とその強靭そうな三本の鉤爪からすると、爬虫類に近いのかもしれなかった。私から受け取ったナナフシモドキをうまそうにしゃぶり、爬虫類人は上機嫌で肩を揺らした。
「こいつはあんたにとっちゃショックかもしれないぞ」
「おい!煙にまくのはやめてさっさと話してくれないか」
「じゃあさっさと始めるか。俺はケンタウルから来た。あんたと一緒さ、調査船に乗って、結構住み良さそうなこの星を別荘地にできないかって連中の手先としてあれこれ計測したりしていたよ。俺の役割は水質調査だった……おっと、ここは退屈か。悪いな、思い出話ができる相手が何年もいなかったんだよ。俺個人の事情は省くが、俺は置いて行かれた。俺が襲われて倒れてる間に出発したんだよ。直前に通信が繋がったんだが、画面には俺自身が映ってた。この星には何かそういう力のある生き物がいて、俺になりかわって船に乗り込み、まあ多分洗脳でもしたんだろうな、仲間を焚き付けて故郷に帰らせた。目的は分からんが、どうせろくなもんじゃない。洗脳なんて飛躍しすぎだって?おい、考えてもみろ。仮に偽物の俺が皆を説得したんだっていってもな、そんな一日も経たずに帰還を選ぶと思うか?あんたにそこまでの影響力があるかは知らんが……その顔を見るとなさそうだな。やつがなんて言ったと思う。『達者で暮らせよ』だと」
 私は男の話を聞き終わり、陰鬱な気持ちで頬杖をついていた。消した焚き火の僅かな残りが、周りの空気を暖めている。とかげ男は一通り話し終わったらさっさと寝てしまった。迷惑な話だった。憶測と脚色だらけで聞けたものじゃなかった。地球にはこの星から出てきたわけのわからない生物が紛れ込み、悪くすると人類が滅亡しているとか、していないとか。彼によれば故郷は滅びていて、ケンタウル星系最後の生き残りになってしまったのだという。なまぬるく青臭い風が、食べる気になれなかったナナフシモドキの肢先の棘を吹き散らした。私の生命も吹き散らされてしまうのだろうか。こんな意味不明な星で、見知らぬ動植物に囲まれながら……
 だがその時、まったく唐突に、私の胸に希望が湧いてきた。私はまだ死んではおらず、肉食獣の獲物でも、囚われ人でもなかった。自由だ。健康で、食事があり、友達もいる。この悲観的な友人の説を鵜呑みにする必要はない。何の理由か分からないが急いで地球に帰った私の仲間が、いずれまた私を迎えにくるかもしれない。
 いや、来るのだ。私が信じていれば。悶々と過ごした夜は四つの衛星と共に鋸歯状の山並へ吸い込まれ、反対側の空のきわに暁が滲みだしていた。私が絶望しようと時間はとめどなく流れていく。ならば希望を抱いて楽しもう。敵の存在も恐るるに足らず、これは私の人生だ。どこで生きていても私の、私の人生だ。