麒麟の四つ足がざんばらと地を蹴ってこの世の果てに砂埃がわき上がる、西の際とも東の遥かとも、あるいは夢のまた夢

 私はゴーグルをずりあげ、砂塵の逆巻く行く手を見つめた。何十年も前に非住域アネクメーネと化したこの地へ、幻を追って来た道中だった。あるいはここが袋小路か。サンド・モービルに横付けにしたタンクを叩く。水はまだ十分あり、旅路はしばらく続けられそうだった。夜毎の冷え込みを利用して露を集めるような装置もあるにはあったが、乾ききった大地において水はまさしく生命線だった。最後に訪れた集落、幾重にもなった砂防林と建てましされた壁の向こうでは、皆が私の志を愚かだと評し、無謀だと笑い、無意味だと哀れんだ。そして中には命の価値を論じながら憤るものすら──この地域に入ってからあれこれ世話を焼いてくれた地元の少年だった──居たのだが、彼に現地語で一番汚ない罵り言葉を投げつけられても、道は少しも変わらなかった。大叔母の物語りした約束の地は私の氏族の血潮となって身の内を流れ、魂を温めている。もともとはこのあたり、砂漠になって久しいこの地でふみを織ってきた祖先らは、ある時点で見切りをつけて移住を選んだのであるが、吹き寄せる砂を、そこから身を寄せ合って抗い続けることを選んだ他の氏族のことを忘れまいとして、幾つもの山を越え居を据えた緑豊かな湿地においてなお大いなる乾きのことを、子に孫に様々な物語として語り継いだ。私は麒麟の話を聞いた。それは巨大な四足の獣で、ひとたび駆ければ四方は不毛の荒野と化し、みたび廻れば大森林を砂漠に変える、人の世の滅びの象徴とされている。私は大叔母がこの獣を語るときの瞳が忘れられなかった。そこには爛々と何か激情の光が宿り、怒りとも憎悪とも違う野心と決意の燻りが、深い皺とたるんだ瞼の皮膚に囲まれた瞳の奥に垣間見えるのだった。私はある夜、皆が寝入ってしまったあとに、こっそりと彼女のもとを訪れ、たった一つだけ質問をした。麒麟を殺せる? 大叔母は練りに練って余剰を削ぎ落としたこの問いに込められた意図を、正しく読み取ってくれた。ああ、お前は我が父の成し得なかった狩りを引き継いでくれるのだね。ならばと授けられた教えを胸に、私はここまでやってきた。故郷を捨て去った裏切り者の末裔を、この地の人々は暖かく迎えてくれた。そして私を笑い飛ばし貶すことで、正気を取り戻させようとしてくれた。だが、私は至って正気だった。
 私は飛んでくる砂に瞼を寄せ、再び厚い樹脂の向こうに世界を隔てた。禁域へ踏み入る事に臆するには既に機を逸している。私は馬に鞭を入れるようにスターターを思い切り引き、休ませていたエンジンを起こしにかかった。いくらかの砂を吐いた愛馬は、スロットルを入れれば快調に砂丘を滑り出した。後に引かれた線条は時を置かず消えることだろう。ここではあらゆるものが失われる。そう遠くない過去には樹林であったはずの土地を、侵食の中心へ真っ直ぐに進む。砂嵐がより荒れ狂い、過酷さを増すほうを選べばそれが目指す場所に違いなく、伸ばした手の先すら見えない嵐の中にあっても、私は道を過たずに済んだ。時は死へ向かって刻まれた目盛でしかなくなり、布越しの呼吸は絶え間ない苦痛となった。
 だが着実に終着点は近づいていたのだった。突如として視界が開けると、追い求めた獣が姿を表した。その威容は言葉に尽くし難く、私は息を呑んだ。鈍い光沢を伴った身体は数え切れぬほどの継ぎ目に彩られた個々の部位により組み上げられ、しなやかな銀の脚が地面を叩くたび、それら全てが一体となって躍動した。渦となり遥か上空まで巻き上げられた砂の壁が、筒状に空いた空間を作り、疾駆する獣を取り囲んでいる。遅れればまた嵐の中だ。私はスロットルを上げ、麒麟の走路に近づいた。どうと鳴る蹄の音に空気が激しく振動し、耳に障る高音が閃光のように混じる。私は片手でサンド・モービルの荷物入れを探り、目当てのものを取り出した。神獣の目鼻のない頭部はただ前にのみ向いており、こちらをまるで認識していないらしかった。都合がいい。片腕で苦労して持ち上げた機械(からくり)は、長い寄り道をしてまで手に入れた特注品のハープーン・ガンで、人の身で触れること能わぬ怪物の喉元へ食らいつくための、とっておきの仕掛けだった。的は大きいが、外せば確実に命はない、一度きりの勝負だ。私は位置を調整するとハンドルから両手を離し、銃を構えて横転覚悟で立ち上がった。砂よけにまとったぼろ布が風圧に翻る。そして引き金にかけた指に力を込めた。
 刺さった! その瞬間、私の身体は宙へと投げ出される。天地も分からぬ中、ばらばらになりそうな身体をできるかぎり安定させ、巻取りのためのレバーを引く。視界の端で、さっきまで乗っていたサンド・モービルが一秒と経たずに砂嵐の壁へ飲み込まれるのが見えた。かと思えば私自身が、激しく駆動する脚のひとつに激突しかける。歯を食いしばり、力が緩まぬようレバーを握り直す。じきに叩きつけられた先は麒麟の胴体で、大揺れではあるが十分な広さのある平面だ。私はなんとか体勢を整えると、足を踏ん張り、歩くようにして巻取を続けた。大叔母の見せてくれた遥か太古の絵図が正しければ、このあたりのどこかから、麒麟の皮の下に入り込めるはずだった。巻取りをいったん終え、ふたたびケーブルを伸ばし、位置をずらして後ろ歩きに足元を探す。ゴーグルをしたままでは視界が悪いが、外せば目を開けていることすらできないだろう。頬に当たる風は痛いほどだった。この列を調べ終わり、また位置を変えて巻取を始める。そうして何度か繰り返したのち、不毛かとも思える苦難の探索の末にそれは見つかった。私は祈るような気持ちで窪みへと手をかけ、力いっぱいにそれを引いた。板金が浮き、次いでずり上がり、四角い穴になった。
 飛び込むと、内部はずっと静かで、安定していた。どんな技術かは知らないが、壁を頼りにせずとも歩くことができた。私の立つ空間は管のように前後に続いており、足元のほの光る以外に見るべき何も存在していない。私は頭側へ向かって走り出した。急ぐ必要もないが、歩きでどれほど時間がかかるかも分からなかったからだ。私の足音は過剰に響き渡ったが、麒麟の体内には何ら変化も見受けられなかった。時折、より内部にあたる面には出入りのできそうな四角い継ぎ目が認められた。どれにもプレートが付いていたが、おそらく、刻まれた文字を読める人間は生き残っていないだろう。しかし大叔母は見分けるべき形を教えてくれていた。私は大きく曲がった先でようやく、最後の一幕へと至った。この文字だけは馴染み深い。翻訳すれば《制御室》であると言っていた大叔母の声が、耳に懐かしく蘇る。これを目の当たりにした瞬間に、私は幾度となく思い描いてきた物語の登場人物になった。プレートの下へ手のひらを押し当てると、音もなく切れ目の内側の壁が引き込まれ、脇へ滑る。扉だ。私は我が家の如く中へ踏み入った。
 円卓がひとつ、家具はそれだけだった。一番近い側の席に、ほとんど朽ちて原型を留めぬ白骨が、残骸と化した布地と共に積もっている。遺骸はずっとここにあり、もう彼あるいは彼女を忘れる人さえ存在しないのだろう。私は見知らぬ死者に敬意を示し、祈りの言葉を口にした。それから、丁度その反対、円卓の然るべき位置へと足を向けた。そこにだけ、小さな突起が作りつけられている。懐を探り、死の床の大叔母から受け取ったものを、埃に淀んだ空気へと晒す。小指ほどの光る円柱。祖先から託された最後の使命。突起を倒せばその下にあるのは同じ径の穴で、永遠に等しい歳月、この日を待ちわびていたのかもしれなかった。そこへゆっくりと円柱を差し込むと、青白い光の筋が円卓を流れ、部屋を駆け巡り、外へと続いた。しばらくして、全ての光が消えた。それから、骨を震わせるような低音が満ちた。私は神獣の泣くのを聞いていた。そしてどれほどの時が流れたかも思い出せなくなった頃合いに、ひときわ大きな揺れのあと、何もかもが静止した。

使命は果たされた。彼の地の伝説には、果敢に嵐へ分け入り神獣殺しを遂げた勇士の姿が語られているが、為したことへの賛辞で締めくくられている。彼あるいは彼女がどうなったかは、今日に至るまで、緑豊かなこの地の誰にも、語られてきていない。