ミルクを注ぐとシリアルは柔らかくなる。私達は誰がミルクで誰がシリアルかはわからないが、正しく干渉し合っているのだと信じて今日を過ごす。
 近頃は二週間後のロケット打ち上げのニュースが町を賑やかしているが、宇宙に行けるのはたった一握りの人間だけだ。私たちに与えられた権利といったら、よく見えもしない遠い距離からビール片手にあれだあれだと意味もなく囃し立てるか、地球の裏側でやっているのと変わりないテレビの中継で眺めるくらいのことなのだ。それに成果はきっと私たちの代の人間に役立てられることはないし、宇宙よりもそのうち切らしてしまうシリアルのほうがよっぽど差し迫った重大な問題だ。打ち上げは私と関係ない。私はそれを自分に言い聞かせるよういつも通りに過ごしたが、結局のところ、このお祭り騒ぎで胸の高鳴りを覚えずにいられるほど冷静ではいられなかった。芝を刈るとき、窓を拭くとき、シャワールームで、ベッドの中で。行く手に星を撒かれた遥かな航路へと漕ぎ出す飛行士たちと、彼らの見るであろう景色を思う。一体どれほどの経験なんだろうか、手足をどこにも着けず漂うというのは、命綱たった一本で巨大な暗黒を背に作業に向き合うというのは、世界そのものみたいにしか感じられない地球をその外側から観測するというのは? 今この瞬間、キッチンのカウンターで朝食のためのオレンジを絞っているこの時でさえ、私の心は宇宙へと翔んだ。つやつやとしたオレンジの半球に体重をかけてひねるたび、ガラスの凹凸を果汁の川が流れた。上空から見れば河川はこんなふうに見えるだろうか? 私は棚から最後のシリアルの箱を取り、冷蔵庫を開ける。牛乳のボトルは半分くらい中身を残して重い。鍛えるべきかしら、と考える。彼女は決してこの程度の荷物に苦労したりしないだろう。彼女のことを考える私の目は本当に見えている景色から離れ、思い出をさまよった。
 決して楽しくはなかった高校時代、前の席にあったチョコレート色の肌、ペンを貸したときのこと、彼女の家にあった驚くほど精巧な太陽系の模型。卒業してからは全く交流のなかった同級生をこんなにも鮮明に描き出せるのは、きっと打ち上げの前だからだろう。ストイックな秀才少女は然るべき大学へ行き、栄誉ある飛行士として戻ってきた。凱旋の日の祝福の催しは、店員として立ち会った。お酒や軽食を何度運んでも声をかけられなかったのをバーの薄暗さのせいにして、私は内心密かに新任の宇宙飛行士をお祝いした。それから数週間の今日に至っても、どこかみずみずしい、こそばゆいような感覚が胸の内を賑やかしている。やっとのことでできあがったオレンジジュースを口にすると、種のかけらが滑り込んできた。毎朝フレッシュジュースを飲みたければ、ちゃんとしたジューサーを買うべきだろう。懐具合と相談すれば来月。朝食を両手にソファへ移動しテレビをつければ、インタビュアーの寝ぼけた質問に答える、溌剌とした彼女の声が聞こえてきた。私はローテーブルへジュースを据えつけ、足を投げ出して、ひたひたのシリアルをすくって食べた。歯ごたえはなく、優しかった。彼女が語る宇宙への旅路は、夢とか希望とかいったポジティブな感情に満ち満ちている。私は決してポジティブなほうではないけれど、膨らみすぎて人類史の展望にまで至ったインタビューを聞くうちに、この家で完結するどうしようもない退屈な今日でさえ、何か素晴らしい発見や成功の期待で満たされているように感じた。そしてそれは多分、私があの日彼女の部屋で、地球と木星をくるくる回しながら、胸踊らせて聞いた話と同じものだったからだ。また朝食を一匙すくう。

 ミルクを注ぐとシリアルは柔らかくなる。フェルトペンがほんのひととき結びつけた私達の人生、もう彼女の記憶には上らないあの日々が、今の私を柔らかくしている。