マチステア・ヴァとゾヨイヤ・ベルツンが出会った809年の冬は784年以来の大寒波が襲った年で、街にある何もかもが色彩を失って等しく凍りついてしまっていた。ヴァはまだ体になじまない革のコートを少しでもほぐしてやろうと、肩口や上腕のあたりを揉んだりさすったりしていた。ニラペレ通り3の15、うまいコーヒーを出す店の入ったビル、そこの5階の空いたフロアが指定された顔合わせの場所だった。彼はがらんとしたフロアのモルタル壁に寄りかかって、たっぷり一時間ほど、手遊びに組んだ指の先で、漠然とした不安をもてあそんでいた。ここで出会う人間が彼の相棒であり、また彼の今後の運命だった。現実局執行人の黒いコートは二つで一揃い、タグの裏側に縫い付けられたボタンの色や形をお互いの秘密として共有している。地上の光で損なわれた暗い銀河のように、あるいはにわか雨に濡れそぼつアスファルトの路面のように、ごつごつした表面へ光沢をまとったそれが、マチステア・ヴァの相棒のコートにも留められている。薄汚れた窓ガラス一枚隔てた向こう側の路地には、時おりキャラメル色の国民車が、その控えめな彩度に相応しい丸みを帯びた姿を現した。あれはなかなか洒落ている、国が作るものにしては。この窓から眺めやる町並みは、気の抜けた山吹色の壁へ多少の凹凸を等間隔に並べてどこまでも続いていた。ニラペレ通りのあるユドッコは比較的新しい区画だ。十六の小部屋を抱えた一棟に十六世帯と一店舗、それが通りの両側に十六ずつ。すべて埋めるほどの人間もいないのに空白ばかり用意されているのだから、当然住人は役人に咎められないようにそっと、隣や向かいの空き部屋へ生活の根を広げていた。そんなビルのひとつでありながら、この空きフロアには浮浪者の寝起きした形跡もなく、ごく細かな塵や埃が床一面、セラミックのタイルの上にうっすらと層をつくっていた。ヴァはやにわに舞い込んだすきま風に身震いした。腕時計を見ると、指定の時刻をもう1時間以上過ぎていた。文字盤には局のシンボルである正四面体をななめ上から見た図が刻まれている。それぞれの面が何を表しているのかは忘れてしまったが、どれも夢とか空想だとかいった曖昧な非現実を拒んでいることは明らかだった。局員は全員同じものを支給されているはずだが、こういう時計を(身に着けているかは分からないが)持っている人間が、平然と遅刻してくることが何やら可笑しく思えた。
そのまま待ちぼうけをくっていると、相手は突然現れた。柱の影から顔を出すまで、足音ひとつ立てなかった。のっぽの白髪頭が自分のややずんぐりした姿とちぐはぐな気がしてまた腹の底をくすぐられるような感じだった。遅いじゃないか、と声をかける。それが100倍の長さで返ってきたのを要約すると、局に指示された時刻はさらに1時間後で、相棒となる人間を待ち伏せてやろうという気を起こして早めにきたつもりが、明らかに執行人然とした男がいかにも誰かを待っている風情で佇んでいたから驚いた、ということだった。それから、おそらく局が我々を試したんだろう、と自分の見解を述べた。ありそうなことだ。現実局の執行人は一組がお互いに命を預けあう。互いの人間性の凹凸が噛み合って、仕事に必要な基準を満たせるよう調整された二人組だ。げんにヴァは遅刻の理由を疑わなかったし、そもそも待たされたことを気にしていなかった。ただ、冷えきった脚の先がまだ靴のなかにあるかどうか、身体を暖めるのに湯船にお湯をためるかシャワーで済ますべきかとか、そんなことを気にかけていた。「とはいえこんな寒い所で長々と待たせたのは悪かった」と連れだって入った一階の喫茶店でココアを奢られながら、マチステア・ヴァは同じボタンをもつ相棒の名前を聞いた。
ゾヨイヤ・ベルツンは変な人間だ。他人にどう思われようと意に介さずに気ままに振る舞っている、そのくせ上から命令されればどんな無理も文句ひとつ言わずに引き受けてどうにかしてしまうのだから、常識の囲いから外を覗いたことすらないヴァとしては、結局彼をどのように評したらいいか分からない。ただ変な人間としている。