シャーロット

 旧世界の魔法使いの元に思いがけない荷物が届いたのは805年の明ける少し前だった。この馬鹿でかい甲殻類のような姿をもつ男は、むやみと関節の多い8対の脚を折り畳み、7つある目のうち額にあるひとつ以外を、送られてきた小包……もとい、ケットにくるまった子供へ向けた。額の目は、これをこの部屋まで運び込んだ魔法使いを追う。
「これは何かな?テット……いいや、わかりきったことだ。子供だね。それもやせっぽちの。目が随分大きいね」触肢の先端が口をつぐんだままの子供の髪を摘まんで、離す。濃い錆色の髪が、骨の浮いた肩にはらはらと落ちかかる。「僕を怖がらないな」
「トバイアス、この子は銀の卵から生まれた」
「なんだって。それじゃあ、思い出話に花を咲かせることはできないけど、君は僕の時代の人間なのか」
 クウィン・ラは全く表情の読めない外骨格の怪物が興味深そうに触肢を曲げ伸ばしする様子を眺めた。トバイアスはその場から一歩も動かずに、赤毛の少女の回りを3回廻った。そして今度は人形のほつれを調べるように、彼女をくるくる回した。「女の子だね。でも子供だから、こういうのがいいだろう。いくら汚したっていいよ」言うやいなや、あるいはその前に、ぼろ布の代わりにゆったりしたかざりけのない服が少女の身を包んでいる。新世界の人間は誰も知らない文字が胸を横切って並ぶ。Welcome to MiniTec!
「そんなもの誰も欲しがらなかったからね。みんな寝間着にしていたよ」声だけでころころと笑う。「君がもう少し大人になったら、すてきな服を用意してあげる」
 心ここにあらずといった風に空を見つめていた少女は、目の前に下りてきた異形の小綺麗に整えられた髪に触れた。若草色の両の瞳に、7つの瞳が映りこむ。「私はトバイアスだよ。トバイアス・ブラウン。技術省の主任研究員だ。そう呼びたかったら」少し溜めが入る。「トビーでいい」
「私、名前、ない」
「そうか」口肢が波打つ。「口はきけるんだね。君の名前はシャーロットにしよう。テット、これはソブレンタでも通じるだろう」
 ソブレンタ人だった魔法使いは「そうだね、その音は美しいから」とうけあった。トバイアスは名前を付けた。面倒ならどこかへやってしまったことだろうが(そして誰もそのことに気づかないのだ)、彼はこの子供を自分のうちに置いておくことに決めたらしい。クウィン・ラは内心意外に思ったが、同時にひどく面白がってもいた。暖かい円形の部屋はまどろみを誘う安息に満ちていた。薪ストーブの上ではホーローの湯沸かしがため息をつき、その湯気が流れていく先では化物じみたトバイアス・ブラウンが、やさしい丸みを帯びたオーク材の椅子を引き、シャーロットを座らせるところだった。小花柄のクロスを敷いた机の上には、瞬きするあいだにジンジャークッキーが用意されていた。それから次の瞬きの後には、クリームをたっぷりかぶったシフォンケーキ。先端にかぎのついた小枝のような肢を使って、どこか気取ったやりかたで銀のフォークとスプーンを並べ、かささぎの縫いとりのされた前掛けをつけてやると、その紐を、シャーロットの髪をささやかに持ち上げて、首の後ろでそっと結わえた。
「めしあがれ」
 彼がそれを言い終わらないうちに、少女はけだもののようにケーキにかぶりつき、盆から掴めるだけのクッキーを両手に握って口へ運んだ。
「お茶を淹れるのを忘れたね」
 息もつかずに食べ物をむさぼる彼女の頭を、その庇護者となった魔法使いがいとおしげに撫ぜ、空いているほうの触肢で湯沸かしを傾けた。流れ出る湯はまず琥珀に色づいてお茶に変わり、カップの金の縁取りを越える頃には火傷しない温度まで冷めていた。「君のお気に召してよかった。ゆっくりおあがり」
 なんと奇妙でグロテスクな親子だろう!クウィン・ラは手を叩きたくなった。塵ひとつない床板へ、娘の手から、唇の端から、渾然とした食べかすが降り注ぎ、魔物そのものの姿をした父親は絹のハンカチで、かいがいしく無意味な世話を焼いてやっている。ひとしきりあたりを散らかしたシャーロットは、物欲しそうに指をしゃぶった。
「彼女が気に入った?」
「そういう失礼な物言いは感心しないよ」
 悪かった、と返す代わりに上げた手をもう彼は見ていなかった。無数に分岐した触肢の先でシャーロットの手のひらを包み込むようにスプーンを握らせて、何がしかを囁きかけている。綺麗になった机の上に、ミントの乗った苺のムースが現れる。クリームとクッキーのかけらでべたべたになった赤毛は、節のある肢先がくしけずるたびさらりと流れて美しくつやめく。
「できるかい?」シャーロットは頷くと、スプーンの柄を握りこんだ右手をぎこちなく運び、グラスに突っ込む。かわいらしいムースは無惨な有り様になって、持ち上げられたスプーンの凹面には、そのうちのわずかが肉片のようにへばりついた。口元に持っていき、くわえる。唇の間から抜き取られた匙は油分をまとい、鈍く光を反射した。
「よくできたね、小さなレディ」
「だんだん、思いだしてきた」
 トバイアス・ブラウンの805年はこのように暮れていった。クウィン・ラはこの年の間はもう彼らを訪ねなかった。次にこの部屋に来たとき(それは何年かあとのことだった)、トバイアスは独りだった。彼は写真立てを撫でながら、心配だよ、とだけ言った。すてきな服に身を包んだおしゃれなシャーロット・ブラウンは、外の世界へ長い散歩に出かけたらしかった。